思い出の海外旅行-1

 思い出の海外旅行(1)


  チュニジアの旅  ずいぶん昔の色あせた旅行写真をスキャナーで再生しました。




チュニジアのスース(Sousse)を訪れた。スースはチュニジアの首都チュニスの南約140kmに位置するチュニジア第三の都市。人口は約43万人。町は美しく「サヘルの真珠」といわれる。
旧市街メディナはユネスコ世界遺産に登録されている。地中海の温暖な気候と、歴史遺産などにより、観光がこの町の最大の産業となり、現在では年間120万人の観光客が訪れる。
スースの南の町エルジェム(El Jem)の円形闘技場も1979年に世界遺産に登録された。
歴史:紀元前9世紀頃フェニキア人により開かれる〜ローマ帝国〜アラブ朝〜ノルマン〜スペイン〜フランスなどに征服された。現在ではアラブ人による典型的な海岸の城砦都市として発展している。(Wikipediaより)


宿泊したチャムス エル ハナ(Chams El Hana) ホテル

ビーチに沿って、おしゃれなホテルが並ぶ









ホテルのプール
スースの海岸を馬車で見物
ビーチに何故かラクダとホバークラフト







スースからNoddyTrainで少し北のカンタウィ
カンタウィ(Port el Kantaoui)は綺麗でのどかな港町
ちょっと休憩







スース博物館は作品所蔵では、チュニスのボルドー博物館に次ぐ規模。モザイクが目を引く。

あちこちで見かける、色彩鮮やかなチュニジアン・ドア






ファルハッド・ハシェド広場横のリバト(要塞)



グランドモスク外壁沿いのスーク(市場)

グランドモスクは9世紀に建立された











直線と円弧の芸術

床面を飾るモザイク

要塞の上から旧市街メディナを見る







エルジェム・コロセウム(円形闘技場)

2世紀頃ローマ皇帝により造られた

エルジェム・コロセウムは1979年世界遺産に登録された












エルジェムから少し西に入ると、もう砂漠の雰囲気

帰りはスースから列車で首都チュニスへ。人口84万人の都市。 



  ドイツの旅/フランクフルト・アム・マイン  ずいぶん昔の色あせた旅行写真をスキャナーで再生しました。



宿泊したパークホテル・フランクフルト レーマー広場
フランクフルト中央駅  大きな地図で見る




ハイデルベルグ  ドイツで一番美しいといわれている中世の街ハイデルベルグ。ハイデルベルグ城は、ゴシックやルネッサンスの様々な建築様式が残された美しいお城。
        テラスからは、ハイデルベルクの街並みやネッカー川にかかる「カール・テオドール橋」が一望できる。城内には世界一という巨大なワイン樽もある。







ハイデルベルグ半日バスツアーに参加
カールテオドール橋とハイデルベルグ城
ネッカー川とハイデルベルグ旧市街







ハイデルベルグ城(左)の城内に入ると、まず目に入るフリードリッヒ館(中)1607年にフリードリッヒ4世によって建てられて以来、選帝侯の住居館であった。
フリードリッヒ館の隣はオットー・ハインリッヒ館(右)この館の地下には薬事博物館がある。






ライン川下り  スイスアルプスのトーマ湖に端を発し全長1,233kmの大河。そのうちドイツを流れるのは698km、ドイツ人はこの川を「父なる川」と呼んでいる。
          ドナウ川とともに、外国の船が自由に航行する国際河川の一つ。マインツ(Mainz)からザンクト・ゴア(St.Goar)まで遊覧船でライン川下りを楽しむ。







ライン川両岸の広大なブドウ畑や街並み
ねずみ塔
ラインシュタイン城







シュタールエック城
グーテンフェルク城
シェーンブルク城


 フランクフルト観光  ドイツのほぼ中央に位置する歴史と現代、そして未来を包み込んだ町。神聖ローマ帝国の戴冠式が行われた町として、ゲーテ生誕の地
                そして、パウエル教会が最初の国民議会開催の地としても知られている。









ハウプトバッヘ 優美なバロック様式の建物は
旧市衛兵所で、今は喫茶店になっている。
レーマー広場

ザクセンハウゼン









バルトロメウス大聖堂
オペラ座
オペラ座前のルカエ噴水





 ゲーテ・ハウス

 ゲーテの像




ゲーテが執筆に使っていた机








  オーストリアの旅/ウイーン  ずいぶん昔の色あせた旅行写真をスキャナーで再生しました。



冬の旅行になってしまったが、ウイーンとブダペストを訪れた。
ウィーンは、オーストリアの首都。人口は169万人。都市単独で一つの連邦州である。「音楽の都」「楽都」とも呼ばれる。
ローマ帝国の宿営地ウィンドボナ (Vindobona) をその起源とし、かつてヨーロッパの数カ国を支配したハプスブルク家のオーストリア帝国の首都であった。マリア・テレジア女帝時代に栄えた市街は、フランツ・ヨーゼフ1世の治下で整備された。
リンクと呼ばれる環状道路は、ウィーンの近代化を実現するために、19世紀の後半にかつて旧市街を囲んでいた堀を埋め立てて造られたものである。
シュテファン寺院や旧市街をふくむ歴史地区は、「ウィーン歴史地区」の名称で2001年にユネスコの世界遺産に登録された。ここには旧王宮・ウィーン国立歌劇場・ブルク劇場・自然史博物館・美術史博物館、南駅に近いベルヴェデーレ宮殿などが含まれる。(Wikipediaより)







シェーンブルン宮殿  ハプスブルク王朝の歴代君主が主に離宮として使用した。同宮殿と庭園群は世界遺産に登録されている。建物は、あらゆる部屋を合計すると
                      1,441室あり、両翼の端から端まで180mあり、正面右側翼には宮廷劇場がある。オーストリアで一番重要な観光資源で、年間入場数150万人。










シュテファン大聖堂ウィーンのシンボル。この聖堂を含むリンク(Ring)と呼ばれるウィーン歴史地区は2001年にユネスコの世界遺産に登録された。
                       ハプスブルク家の歴代君主の墓所であるほか、モーツァルトとその妻ウェーバー・コンスタンツェの結婚式と葬儀が行われた聖堂としても知られている。
                       オーストリア公ルドルフ4世の命により1359年に65年がかりで南塔が完成。107メートルの高さを持ち教会の塔としは世界で3番目の高さがある。

















ホーフブルク宮殿  ハプスブルク家が王家として君臨した約650年もの長きにわたり、同家の居城となった由緒ある宮殿。街の中心にあって新宮殿、旧宮殿をはじめ
            ミヒャエル広場やアウグスティナー教会、スペイン乗馬学校などまでがこのホーフブルクに属し、ウィーン観光のハイライトのひとつになっている。
            新王宮は民俗博物館や武器・楽器博物館になっていて、旧王宮に属する王宮最古のスイス宮ではハプスブルク家の豪華かつ膨大な調度品
            などのコレクションを展示する宝物館が最大の見どころ。(エイビーロード)







新宮殿

旧宮殿


















  ハンガリーの旅/ブダペスト  ずいぶん昔の色あせた旅行写真をスキャナーで再生しました。
ハンガリーの首都であり、ハンガリー最大の都市で産業・交通・文化活動の中心である。街の中心をドナウ川が縦断するが、西側のブダ地区と東側のペスト地区はかつでは別々の町であった。ブダ地区は丘の上にブダ城(かつての王宮)や要塞があり政治的・軍事的拠点なのに対し、ペスト地区は平野部に位置し経済的拠点であった。
西暦89年ごろローマ帝国が現在のオーブダ地区の近くにアクインクムを建設したのがブダペストの起源とされる。その後ウラル山脈周辺よりマジャール人が移住してきてハンガリー王国が誕生した。 その後オスマン帝国やハプスブルク帝国の支配を経て、1867年のアウスグライヒで誕生したハンガリー王国の首都として1873年にオーブダ・ブダ・ペストの3地区が合併しブダペストが誕生した。20世紀前半には都市圏を郊外にまで伸ばし、ハンガリー人民共和国、そしてハンガリー共和国の首都として現在に至る。

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